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2011年12月 7日 (水)

落語は業(ごう)の肯定である

と言ったのは先日亡くなった立川談志である。落語には「どうしようない」人物がたくさん出てくる。泥棒・うそつき・時によって借金のかたに遊郭に居残りさせられる男(居残り佐平次)酒に溺れて商売もままならぬ男(芝浜)周囲の人たちに迷惑をかけ続けて死んだ男(らくだ)

落語ではこれらの登場人物が笑いと悲哀をばらまく。「業」とは「してはならないことを、ついついしてしまう性(さが)」だそうだ。人はみな自分の業に悶え苦しむ、つまり業は人間共通の悩みだ。

だから、人は他人の「業」に共感する、そして巧みな話芸が悲哀を笑いに変えていく。
談志は落語の真髄をその一言で言いあらわした。人は他人の不幸を楽しむ、だから悲劇は感動を呼びやすい。だがそれを笑いに変えには相当な芸の力が必要なのである。

傑作が少ないと云われるテレビドラマ、松雪泰子の「mother」他人の子を連れ去ってはいけない、分かってはいるが主人公は女の子を連れて逃亡生活に入る。

鈴木京香主演の「セカンド・バージン」愛してはいけない人を愛してしまう。どちらも人間の「業」を描いて人々の共感を得た。そして悲劇の結末はどうなるのだろうと次回の放送をワクワクしながら待つ。

視聴率の低迷で酷評される「南極大陸」キムタクの演技に批判が集中する。しかし「そんなこたぁ、百も承知じゃねえか」樺太犬を置き去りにして一年後にタローとジローが生きていた、これも「百も承知」のことである。それをなんとかするのがプロデューサーの仕事でしょう。

落語なんて、「オチ」をみんな知っていて何度も聴くものである。何度も聞いたはずの「人情話」にグイグイと引き込まれていくのも芸の力である。

アタシなんぞは業と煩悩の塊みたいな人間だから退屈しないね。ドラマなんかよりずっと面白い人生だ、そしていつも悶え苦しんでる。

Dsc05129

さてさて、除夜の鐘までもう少し、煩悩の数を数えながら大晦日を待ちますかい。

煩悩を 数えて暮らす 師走かな

(吉田 結構)

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コメント

深い、面白い お話ですね、
私も自分の歌に「カルマ(=業)」というのがあります。
できるならば、自分の業を切っていける人生でありたいな…と思います。。。

してはいけないとわかってても してしまう・・・

わかるような、ないようなthunder

全てにおいてなんでしょうかね・・flair

108つの煩悩・・・数えてるうちに、眠くなりそうですeye

heartアタシなんぞは業と煩悩の塊みたいな人間だから退屈しないね。ドラマなんかよりずっと面白い人生だ、そしていつも悶え苦しんでる。heart

誰でも、人に言えないことってたくさんありますし
それを、口に出すか出さないかの違いで
苦しみ方も違ってくるんだと思いますsign03

ちなみに、ユンディは
しまいこむタイプなので
結構苦しむ方かなdownwardright

忍耐強すぎて 失敗します(笑)crying

カルマは業の語源らしいですね。
古代インド哲学の時代から人間は業に
苛まれていたのでしょう。

業からは逃げられない。だから、付き合って
いくしかないみたいです。

肯定して笑いに変えられるようになれば
人は笑って死んでいけるのかも。
業を背負っているから笑いも深くなるのかも。

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