2011年11月24日 (木)

TPPと日本の産業政策

例の北も南も血の気の多い国では、TPPへの対応をめぐって国会で催涙弾が飛び交う騒ぎになったそうな。とても先進国とは思えない惨状ですが、裏を返せばそれだけ真剣?に論議しているということにもなるのではないか。

だいたい、戦後日本の産業別の人口は大きく変わってきているのだ。下のグラフを見ても、農業の総人口に占める割合は昭和30年と比較して7分の1に減っている。もはや、日本の農業は戦前までのように、日本を象徴する産業ではなくなってしまった。なぜ、日本の国益を犠牲にしてまで農業を守らなくてはいけないのか?

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日本もかの国のように、街頭で取っ組み合いのけんかをするべきではなかろうか?町工場や中小企業のおっちゃんたちは、この厳しい円高の中、まったく保護されることもなく廃業の憂き目を見ているではないか。中には行き詰って自殺する人も少なくないと思う。

それもこれも、農民を票田とするあの政党が、産業構造の変化を無視して、補助金のばら撒きを続けたせいでもある。赤い旗を振り回す連中だって、守ったのは組合の加入者だけだった。

今こそ、産業構造の変化に見合った政策を真剣に論議するときなのではなかろうか。それをやっておかないと、日本の農村はそれこそ崩壊し、田園風景なるものがなくなっていく。農業が壊滅すれば、アミニズム(自然崇拝)の象徴と拠り所である神社、さらにはあの千代田区にお住まいの方々の存在意義さえ問われるのである(東京のど真ん中の、広大な敷地の中で行われる行事の中で、一番大切なものが新嘗祭(にいなめさい)というのが米本位制の戦前までの価値観を象徴している)

さらに、いい加減「産めよ増やせよ」というのも見直してはいかがなものか。もう日本は1億人以上の国民を食べさせられる国力はないのではないか。戦争中の産めよ増やせよで膨れ上がった人たちの年金を払わせるために子どもを産めと言われても、それは無茶な話である。だいたい、ジャンクフードばかり食べている若者たちが70過ぎまで生きられるはずもない。あと20年もすれば年金を受け取れるのは健康に気をつけた一部の幸運な人たちだけになるのだから。

2011年6月 4日 (土)

政治のこと

辞める? って言えば、辞める という
こだまですか?

辞めろ! って言えば 辞めない! と言う
ペテンですか?

んな事はドーデモいい
サッサと復興関連法案を可決しろ!
首相の任期を10ヶ月と決めちゃえ!

以上です。

2010年12月 9日 (木)

Remember Pearl harvor. (真珠湾を忘れるな)

12月8日は旧帝国海軍機動部隊が真珠湾を攻撃した日である。1970年に公開された「トラ・トラ・トラ」はそれを描いた日米合作映画だ。当時高校一年生だった私は父と一緒に映画館に行った。出張の多かった父との数少ない思い出である。

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日米合作とはいえ、日本軍の奇襲を探知しながら対応できなかった米国側の非も指摘されており、当時としては革新的な解釈であった。後の「パールハーバー」が安っぽいメロドラマだったのに比べ、意義深い作品である。

帰り道父は「あー、スッキリした。日本軍が勝つ映画、初めて見たわ」と言った。父は予科練習生として海軍にいたのだから、感慨深そうだった。

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米軍機を改造した97艦攻、こんなのが160機も使用されたそうだ、CGとは違う迫力だった。ゼロ戦はテキサンで、胴体が太すぎた(泣)

今でも、真珠湾では年に一度Veterans(退役軍人)たちが集まり「Remember Pearl harvor」と叫んでいる。彼らは、彼らが言うところの「だまし討ち」を忘れておらず、戦艦アリゾナの前で誓いを新たにしている。

米国版の予告編「Why」がナレーションでは繰り返される。「なぜ」奇襲を防げなかったか、レーダーサイトからの報告は「なぜ」無視されたのか?

Youtubeです

http://www.youtube.com/watch?v=YRfPcnlMYtU

私は先の戦争や真珠湾攻撃を云々するつもりはない。だが、日本人が忘れても、相手は引っ叩かれた頬の痛さを忘れていない、ということを忘れてはならない。

日本人は「水に流す」文化があると思う、おそらくこれは長年の農耕文化の中で育まれた文化であろう。川の氾濫で田畑が「水に流されて」何時までもクヨクヨしていても仕方ない。また、、真面目に耕せば次の年には何とかなる。

しかし、外国は違う。水に流してはくれないのだ。そこを我々は忘れてはいけないと思う。それだけの話である、他意はない。以前述べた「値切り」の文化と同じことだ。

日本人でも280年間恨みを忘れなかった稀有な例がある、それは長州藩だ。毛利家では毎年正月に殿様の面前に集まった重役たちが「殿、今年こそ」というと「まだまだじゃ」と毛利の殿様が応えるのが慣わしだったという話を聞いた事がある。

長州藩は関ケ原の恨みを忘れてはいなかったという、日本人には珍しい執念深さである。

人の噂も75日とか言うが、石やレンガで家を立てる国では65年経っても忘れはしない。

ところで、尖閣諸島のビデオをYoutubeに流した海上保安官はどうなったのでしょうね。たしか保安官が出頭したのが一ヶ月前。このままあと45日だんまりを決め込むのでしょうか?世の中ワカラン!